香りが最初に届く──。
空気に溶けた砂糖の痣は
鼻腔の迷路を渦巻きながら、
記憶の傷壁を鑢で削る。
花びらはたおやかに、
一枚ひとひらが夏を葬送する。
夏の遺影が口の奥で
そっと後味を撚りもどす。
蜂蜜のチューブはしなだれ、
三分の一が夕暮れ、
残りは帰れなかった蜂の圧。
ビタミンCの錠剤──
ガラス瓶の中の
軌道を失った淡い太陽。
瓶の喉に貼りつきながら、
溶けるはずの未来を待ち続ける。
カトラリーは生ぬるい水の中で
汗を掻き天井の極光が揺れる。
使われるという神学を、
水銀のように漂わせて。
記念日の皿は
何度も練習を重ねた
ささやかな亀裂を描ききった。
来週のコンサートのチケットは
冷蔵庫の磁石の下で黄ばみ、
音楽のアンコールが既に
その中で錆びついている。
玄関には──
ビニール傘が迷彩のように滴をこぼし、
靴は優柔不断に歪み、
キーホルダーは濃い赤を放つ。
プラスチックの肋骨を通し、
鉄の匂いが咲く。
蜂蜜は忘れられた呼吸の奥で発酵し、
小さな気泡の聖堂を誂えながら、
甘さこそが自らを裏切る術と教える。
甘さは永久不変と──。
喉に残るのは香りではなく、
ただ易しい痛み、
腐敗の代数学。
除算がどう熟すか、
たった一度の温度の揺らぎが
いかに人生を土へと戻すか。
そして私たちは浮遊する──
発酵した蜂蜜のように。
痕跡として、殻として、残滓として。
私たちが抱えた証を吸い込み、
私たちを抱えた証を吐き出しながら、
なお深い味わいを残して。